落ち着かない空間

試験も終わり、勉強量が一気に減ったので部屋を掃除した。これで計算用紙に埋もれた生活から解放され、床が見えるようになったわけだ。が、実に落ち着かない。なんだか自分の部屋ではないようだ。せっかく片付いたというのに。

と思ったところで、「散らかった部屋」の定義について考えてみた。散らかっている=乱雑である、ということでかの有名なEntropy(系の乱雑さを表す物理量)を考えるのが妥当そうである。Entropyが大きければ散らかっている、小さければ片付いているというわけで部屋の散らかり度合いの指標になることが期待できる。

さて、情報Entropyという考え方がある。系の乱雑さ=系に対する無知度という発想である。この場合では、部屋が散らかっていればどこに何があるか分からない、つまり無知である。また部屋が片付いていれば物の位置がだいたい把握できる、つまり系に対する知識があるということになる。こう考えて部屋の散らかり度合いを定義するのも問題はなさげである。

部屋には乱雑に物が置かれているが、その住人は全ての情報を把握しているという場合を考えてみる。紙は散らかっているがどの計算用紙をどこに置いたかということはきちんと把握しているということである。ある種Laplaceの悪魔状態である。これではEntropyがゼロとなってしまうではないか、とも思われるがそこは大丈夫。人間が忘却という能力を有する以上、時間発展とともにEntropyは単調増加していくことが期待できる。従って、情報Entropyで部屋の散らかり度合いを定義しても無限時間後を考える限り破綻は生じない。もっとも、有限時間後であれば観測者が誰か? ということでEntropyは大きく変わってくるだろうが。

部屋を片付ける、という操作について考えてみる。これは系の乱雑さを減らす行為、Entropyを小さくする行為である。人間も部屋という系の内側の存在だとすれば、これはMaxwellの悪魔でも現れたような危機的状態である。Maxwellの悪魔は物理的にはいてほしくない存在である以上、Entropyが小さくなるようなことは避けたいところである。そう、部屋を片付けてはいけないということが結論として導かれたわけである。自分の部屋で落ち着けない、なんていう奇妙な現象も回避できるわけだし。

筆者は意図的に一つ、あるいは複数のうそをついている。どこがうそかは他言無用である。正確な答えを知る存在はもはや過去にしかいない以上、正答を確かめる手段も皆無であることも付け足しておこう。